ヨミラボ運営チームより
「名前のない違和感に、名前と光を。」
空腹感は、誰でも共有できる。 「お腹すいた」と言えば、「わかる」と返ってくる。 人は、名前のついた感覚には共感できる。
でも、
「なんかしんどい」「これって変じゃないか」 ──そんな違和感には、まだ名前がない。 名前がなければ、語れない。 語れなければ、伝わらない。 伝わらなければ、「気のせい」で終わってしまう。
セクハラも、かつては名前のない違和感だった。
1970年代のアメリカ、 職場での不快な言動に悩む女性たちはいたけれど、それを説明する言葉がなかった。 「セクシャルハラスメント」という言葉が生まれ、 初めて社会が耳を傾け始めた。
“名前をつける”ことは、沈黙していたものに語る権利を与える行為です。
このブログ「ヨミラボ」は、
富山というローカルな社会に漂う違和感を、そっと言葉にしていくメディアです。 地方には、法律でも制度でもなく、“空気”が人の行動を縛る場面がたくさんあります。
「昔からそうだから」
「誰も文句を言っていないから」
──そうやって続いてきたことが、いつの間にか“声を上げにくい雰囲気”をつくっていく。
このブログは、「社会を変えたい人の孤独」を支えるためにあります。
誰も怒らず、でも誰も逃げられない。 “やさしく刺す”文章を、私はここでつくっています。
登場人物

カクトくん 地元のことが気になっている等身大の若者。 読者の気持ちに近い立場から、素直な疑問を投げかけてくれます。

ヨミノ博士 地域の仕組みや空気の背景を、やさしく読み解いてくれる案内役。 知識と問いかけで、会話を深めてくれます。

ミツキさん 地元の空気にどこか違和感を抱きながらも、 真面目に向き合おうとしている若い女性。 しなやかな視点で、場の空気に最初のひびを入れてくれる存在。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」──ウィトゲンシュタイン
哲学者ウィトゲンシュタインは、「私の言語の限界が、私の世界の限界である」と語りました。 これは、
「言葉にならないものは、他人と共有できず、社会の中で“存在しない”ことと同じになってしまう」
という意味でもあります。 たとえば、「モヤモヤするけど、何と言えばいいか分からない」という状態では、問題として扱われず、ずっと放置され続けます。 ヨミラボは、そんな“まだ名前のない違和感”に、言葉と名前を与え、語れるようにする場所です。 言葉を与えることで、そのモヤモヤは初めて「社会のテーブル」に乗り、誰かと共有し、変えていくことが可能になるのです。