空気で支える社会を、構造で見直す【共助再設計シリーズ】5/12
地域の共助って、どうしてこんなにしんどいんだろう?
高齢者の見守り、買い物支援、除雪や交通整理──
どれも大事なはずなのに、なぜか「住民がやるのが当たり前」になっている。
行政は「市民の自主性」として一歩引き、企業は「採算が合わない」と距離を置く。
そうして残ったのは、“地元を思う誰か”が静かに背負い続ける日常。
最初は使命感だったのに、気づけば当番扱い。
やらない人のほうがラクで、やる人だけが消耗していく。
この構造のどこかに、私たちが見過ごしてきた“罠”がある気がする──
地方の“共助”ってさ、本来は行政がやるべきことを住民がやらされてるケース、多くない?それって、なんか変じゃない?
ふむ…それは、ただの感情ではないね。共助という言葉の背後に、構造的な責任のズレがあるようだ。
いやいや、それマジでズルくない?「地域の力」って言えば聞こえはいいけど、実際は住民に丸投げしてるだけじゃん。
……ですよね、やっぱり。現場でも「これは市民の自主的な取り組みです」って説明して、行政が一歩引く場面が多くて。責任の所在があいまいなんです。
でもそれって、本当に“自発的”なの?誰かがやらなきゃ回らないからやってるだけで、選択肢なんてないよね。
共助が“制度の隙間”に落ちてしまっているのだろう。行政は制度外の努力として感謝を示すが、それは同時に「制度として扱わない」宣言でもある。
そうそう、「ありがとう」で済まされるやつね。感謝はするけど、責任は取らないっていう。
行政の側も「これは制度にできない」と思い込んでるふしがあります。予算も人も足りないから、「善意で回っているならそのままでいい」みたいな空気があるんです。
企業とか民間で、もっと効率的にできる仕組みって作れないのかな?そっちに期待しちゃうんだけど。
民間の論理では、どうしても“採算が合うか”が前提になる。共助のように、継続的なケアや関係性が求められる場は、利益構造に乗りにくいのだよ。
あ、なんか今、腑に落ちた。共助ってさ、最初は“使命感”とか“思い”で動いてるのに、途中から「当番です」「あなたの番です」って言われるようになるじゃん。
それってさ、勉強したいなって思ってたのに「勉強しなさい!」って言われて、一気にやる気なくすのと同じだと思う。
なるほど……それは鋭い比喩だね。自発性が義務になるとき、人は“やらされ感”に包まれ、善意がしぼんでいく。共助が継続できなくなる理由のひとつでもある。
で、それをやらないと「最近あの人、やらなくなったね」とか陰口言われるやつ。まじで空気重い。
本当は制度として支えるべきことなのに、“続ける人の人柄”に任せっぱなしなんですよね。で、回る限り、誰も制度をつくろうとしない。
なんかそれ、ずっと同じところをぐるぐるしてる感じだよね。誰かが回してるのに、地域が“進まない”理由がここにあるのかも。
その通り。責任を取るべき仕組みが動かず、善意だけが循環する。この“共助の空白地帯”こそが、構造のほころびなのだよ。
今回の違和感のおさらい
1つ目:共助の役割が、本来行政が担うべき公共性を含んでいるにもかかわらず、「市民の自発的活動」として制度外に押し出されていること
2つ目:企業は採算性から関われず、行政は「自発性」に甘え、住民の善意だけが循環する空白地帯が生まれていること
3つ目:最初は使命感で始まった共助も、やがて「当番制」や「やって当たり前」になることで、自発性が奪われてしまう構造があること
この3つが重なることで、共助は「続ける人が損をする仕組み」になってしまい、地域の制度的な支援や責任が置き去りにされている。
このモヤモヤに名前をつけたいんだけど……なんか、“善意で回してるのに、ずっと閉じたまま”って感じがする。博士、なんて呼べばいい?
ならば、こう呼んでみるのはどうだろう──「共助の責任回避構造」。誰も責任を取らず、善意だけが動く仕組みのことだ。
あるいは、「空白に浮かぶ地域力」。制度に支えられず、空中で支え合っている不安定さを比喩として示してみた。
さらにもうひとつ──「善意による閉塞」。支えたい気持ちが強いからこそ、構造を変えずにそのままにしてしまう。
うーん、どれも近いけど、もっと“ぐるぐる回ってるだけで前に進まない”感じも入れたいかも。善意が回ってるだけで、仕組みが動かないというか……
では──この違和感には、こう名づけておこう。「善意の罠」。支えたいという気持ちが、構造を変える力を奪ってしまう paradox(逆説)だよ。
善意の罠……それだ。言葉にした瞬間、なんか、空気の正体がはっきり見えた気がする。
まとめ
共助は、本来「自発的で一時的な助け合い」のはずだった。
でも今では、それが「制度の隙間を埋める常設の当番制」になってしまっている。
行政は「市民の自主性」として手を引き、企業は「採算が合わない」と関与しない。
その空白を、使命感ある住民が“当たり前”のように支え続けている。
やがて、その支えが“義務”と化し、空気になり、変化の力を奪ってしまう。
今回の名前「善意の罠」は、そんな逆説を言い表す言葉だ。
博士って…なんでそんなに、ぐちゃぐちゃしたモヤモヤをスッと整理できるんですか?
それはね、私は“人より遠くから”見ているからだよ。空の上から町を眺めるように、構造を見ているんだ。
たしかに…僕らが感じてるのは空気とか感情なのに、博士はいつも“仕組み”で話す。
感情はヒントになる。でも、構造を言葉にできたとき、それはただの違和感じゃなく“問い”になるんだよ。
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