🧠 ヨミノ博士ブログ|第17話|“持続可能な村社会”で感じた『持続不能な共助』

社会と地域

空気で支える社会を、構造で見直す【共助再設計シリーズ】2/12

 

「持続可能な地域」と言いながら、頼っているのは制度でも技術でもなく、人の善意や気づかいばかり。

それって、本当に持続できる仕組みと言えるのだろうか?

 

カクトくん
ねえ博士。「持続可能な地域社会」ってよく聞くけど、本当に“持つ”ように作られてるのかな?
ヨミノ博士
ふむ、興味深い問いだね。言葉としての「持続可能」は、時に“仕組み”ではなく“がんばり”に依存して語られてしまうんだ
ミツキさん
がんばり、ね。まさにそれ!誰かの気づかいとか、お節介とかで支えられてること多くない?制度もなくて「うまくまわってる」とか言われると腹立つよ
カクトくん
それって結局、“人がいないと崩れる”ってことですよね。制度も技術もなくて、ただ「いい人」で回してる感じ…
ヨミノ博士
共助が本来もつ意味は、“制度の隙間を一時的に支える力”だった。しかしそれが“制度の代替”になったとき、持続可能性は幻想になる
ミツキさん
で、その幻想を「地域の美談」みたいに使いまわしてさ、結局しんどくなってるのは現場の人たち。移住者とか若い人が耐えきれずに出ていくのも当然だよね
カクトくん
本当にさ、「持続可能なまちづくり」って言ってるけど、あれ、誰が持たせてるの?共助に丸投げしてるだけですか?
ヨミノ博士
制度にできないことを、空気でまわす──それが共助の限界だ。仕組みの外側に押し出されたまま、人に頼り、人にすり減らせる。それが今、地方が抱える構造的な疲弊なんだよ

 

今回の違和感のおさらい

1つ目:「持続可能な地域」という言葉が、“誰が持たせているのか”を語らずに使われていること
2つ目:共助が“制度の補助”ではなく、“制度の代替”として期待されていること
3つ目:地域の支え合いが「美談化」されることで、構造の見直しが後回しにされていること

この3つが重なることで、「共助」は“支援の場”ではなく“責任の押しつけ場所”になってしまう。
そしてその構造が、“住み続けたいまち”ではなく“逃げたくなるまち”を生み出している──

それが、今回のモヤモヤの核心にある。

カクトくん
博士、このモヤモヤ…名前つけたいです。持続可能って言いながら、人に押しつけてるこの感じ
ヨミノ博士
ではまず仮に──「制度不在型共助構造」と呼んでみようか。制度にできない支援を人間関係に丸投げした状態だね
ヨミノ博士
あるいは、「持たせすぎ共助」──仕組みが持つべきものまで、人の善意でなんとかしてる構造を示す言い方だ
ヨミノ博士
もっと印象的にするなら、「美談依存型共助」なんてどうだろう。語られる美しさの裏で、改善されない現場が疲弊している
カクトくん
うーん…どれも近いけど、「持続可能って言われるほど、持たない」って感覚も入れたいんですよね。空気だけで耐えさせられてるっていうか…
ヨミノ博士
なるほど…ではこう名づけよう。「持続不能な共助」──言葉では美しく語られるが、構造としては持たない。そんな現実を示す名前だ
カクトくん
博士、それです。口では“支え合い”って言うのに、実態は“支えきれない”。それ、まさに『持続不能な共助』です!

まとめ(静かな気づき)

共助があるから、地域は成り立つ。そう言われることに、異論はない。
けれど、共助に“頼りすぎている”構造を放置したまま、「持続可能」と語るのは違うと思う。
仕組みがない場所を人が埋める。
そのやり方に限界がきているのに、美談として語ってしまうから、しんどさは見えなくなる。
本当に持続可能な社会とは、助け合いがあっても、それに依存しなくてもまわる設計があること。
そこから、もう一度考えたい。

カクトくん
博士って…なんでそんなに「持続可能」って言葉の裏側まで見えるんですか?
ヨミノ博士
それはね、私は“人より少しだけ持続性に冷静”だからだよ。どこに限界があるか、構造を見て判断しているんだ
カクトくん
たしかに…僕らは「頑張ればなんとかなる」って思いがちだけど、博士はその先を見てる
ヨミノ博士
感情や努力は、構造を変えるきっかけにはなる。でも、それだけに頼っているうちは“仕組みの故障”には気づけないんだよ

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